世界中の海に眠る沈没船

夢を求めて新世界へと乗り出した「大航海時代」の船が眠る海

15世紀から17世紀中期にかけて、ヨーロッパ諸国は新しい交易ルートの開拓や領土拡大、及びキリスト教布教のため競って外海へと船を漕ぎ出しました。この時代を「大航海時代」と呼びます。バルトロメウ・ディアスがアフリカ最南端「喜望峰」を発見し、ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ回りのインド新航路を開拓、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に至り、フェルディナンド・マゼランが世界周航をおこなった時代です。先駆国のスペインやポルトガルに続いてイギリス、オランダなどもインド・アジア大陸、アメリカ大陸へとこぞって進出し、ヨーロッパ人は世界を席巻しました。

この時代の航路上の主要な海域にあたるカリブ海と大西洋は沈没船のメッカです。フロリダ半島からカリブ海に至る海域には、大西洋航路を経由して新大陸を目指した貿易船が多く沈んでいます。大西洋海域で特にメッカとして注目されるのは、ポルトガル沖約1000キロの海上に浮かぶアゾレス諸島です。ヨーロッパと新大陸を結ぶ航路上の要所であり、年間500隻から1000隻もの各国の船舶が立ち寄る補給地でした。この二つの海域には金銀宝石、宝飾品、陶磁器などの美術工芸品を積載した沈没船が数多く眠っています。

大航海時代に描かれたカリブ海のバハマ周辺の地図。
17世紀に沈んだ3隻の船の情報が記されている。
ロバート・F・マークス氏がバハマ沖で引揚げたピンポン玉大のエメラルドとアジア製の金のロケット。

中国産の絹や陶器を求めて貿易船が集まったアジア航路の要所「南シナ海」

東南アジア諸国の中心に位置する南シナ海は、紀元前の時代から中国と東南アジア諸国の交易の要所でした。またここから西に接するインド洋を経てインド、アラビア半島に至る航路は「海のシルクロード」と呼ばれ、ペルシャ湾または紅海を経て地中海の国々ともつながっていたため、古代ローマ人も絹を求めて中国へ赴いたと記録されています。唐代中期にアラブとペルシャの商人が来航し、南海貿易は元(げん)の時代に隆盛を極めました。大航海時代以降は新航路を通ってヨーロッパ諸国が船隊を送り、交易ルートは日本にまで広がります。このような歴史的背景により、南シナ海にはヨーロッパ諸国の貿易船のほか金銀銅や象牙製品、青磁器などを積載したアジアの船も多く眠っています。

上:1512年1月にインドネシア沖に沈んだポルトガルのフロ・デ・ラ・マール号の沈没位置を示している当時の地図。
下:フィリピン沖に沈んだアジアの交易船から引揚げられた中国製青白磁などの遺物。

数多くの交易船が眠る「日本海域」の現状

1543年ポルトガルから種子島への鉄砲伝来をきっかけに、日本とヨーロッパ諸国との交易が幕を開けました。1600年にスペインとオランダ、1613年にはイギリスとも交易を開始、日本は鉄砲や火薬、中国産の生糸や絹織物を輸入し、銀や銅、日本刀などを輸出しました。1639年以降、交易は鎖国によりオランダを除いて断たれますが、日本周辺には16~18世紀のヨーロッパの沈没船が九州近海を中心に眠っているといわれています。金銀財宝をはじめ当時の美術工芸品や古代中国の品々など、貴重な文化財を積載していた船です。湾内の埋め立てが年々進み、地震の多い日本では放置しておくと発見が難しくなることも考えられ、文化財保護の観点から早期引揚げが望まれます。しかしわが国では歴史的沈没船引揚げの実例がほとんどなく、引揚げ遺物の所有権に関する法律も整っていないため、手つかずであるのが現状です。
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